システム・ダイナミックス学会の概要

システムダイナミックスの創案
システムダイナミックス(SDと略称)は1956年に米国マサチューセッツ工科大学(MIT)のForrester教授によって創案された.企業の時間と共に変わる性質を研究するために考えられたもので始めインダストリアルダイナミックス(IDと略称)と呼ばれた.システム内のフィードバックループを解析するのに好適である,非線形方程式を扱うことができる,長期のシミュレーションに適するなど,数々の特徴を持っていたため,IDは当時著しい注目を集めた.

システムダイナミックスの発展
1967年Forresterは地域問題に目をむけ,同じ手法により地域問題を扱い,1969年Urban Dynamics[3](日本訳,小玉陽一)を出版した.1970年ベルンのローマクラブ会議の後,Forresterは世界モデルの構成に着手,1971年World Dynamics[4](日本訳,小玉陽一)として出版した.1970年7月ローマクラブはForresterの弟子のDennis L. Dennis Meadowsを主査とするチームに研究プロジェクトを委託し,それに対するMeadowsの報告がThe Limits to Growth[5](邦訳『成長の限界』)としてl972年出版された.以後アーバンダイナミックスをUD,ワールドダイナミックスをWDと略称する. このようにIDから出発して,UD,WDと広がり,更に,国家レベルの問題を扱うナショナルダイナミックス(ND),健康医療問題を扱うへルスダイナミックス(HD)など,社会システム全般を扱うに至っている.そこでこれらを総称してシステムダイナミックス(SDと略称)と呼んでいる. 『成長の限界』は世界中で大きな反響を呼んだが、たまたま,その直後に第一次石油ショックが勃発した.『成長の限界』は天然資源の使用率を下げるようにと警告をしたが,石油について言及したのではなかった.しかし,同書が石油ショックを予測して警告したようにとられて,世間の評判を呼び,同時に,SDが著しい注目を集めた.

システムダイナミックス学会日本支部
わが国へのSDの紹介は1967年渡辺一司・坂倉省吾の『インダストリアルダイナミックス』に始まり,以後坂倉,渡辺の数冊の訳・著書,石田晴久・小林秀雄訳の『インダストリアルダイナミックス』,小玉陽一の数冊の著書が相次いで出版された.しかし,惜しいことに.現在全てが絶版である. 日本オペレーションズ・リサーチ学会の中に,システムダイナミックス研究部会が1973年〜1977年,1988年〜1991年の2回にわたっ結成され活発に活動した. この研究部会を母体として1990年に システムダイナミックス学会の目本支部が発足した.当時,システムダイナミックス学会の正規の支部は日本支部が唯一であったが,1993年中国支部が発足Lた.1995年の東京会議は日本支部の主催が予定されている.本書の編集は日本支部が担当している.

システムダイナミックスの近年の発展
近年、systems thinkingあるいはlearning[6]というSDの分野が脚光を浴びており,これは,もともと高校生以下の生徒にSDによって簡単なシステムの特徴を学ばせる事から始まって,企業従業員にSDモデルによるシステム思考訓練を通してシステムの特徴を理解させるという方法で、各方面に広がっているようである. またSDモデルによるシミュレーション結果に現れるカオスの研究がヨ一ロッパで主に続けられている.[12] SDがIDとして創案された頃,そのモデルをIBMコンピュータにかけるために、MITのグループによってDYNAMOというシミュレーション言語が開発された.DYNAMOは連続型シミュレーション言語として著名でSDの普及に大いに貢献した.DYNAMOは従来大型コンヒュータで利用されてきたがIBMパソコン用にProfessional DYNAMOが作られ,国産パソコンにも利用可能の機種があり,方程式数2,000ぐらいの相当大型のモデルも扱うことができる. STELLAは1985年にBarry Richmondにより開発された.SDに依拠したシミュレーションモデルをMachintoshでビジュアルプログラミングにより実行するソフトウェアである.モデル構成をビジュアルに進められるため判りやすいので近年広く普及しつつある.(なお本書では,上記2種の説明のほかに,国産コンピュータで利用できる椎塚久雄のBYNAMO,および小休秀徳のDYNAMOP IIIの解説,更にBASICの利用法を付加する.)